私は精神科医師としてこれまで20年来、精神科病院や大学病院に勤務し、いまは東京都内でクリニックを運営しています。そして主治医として担当をした患者さんたちがそれぞれ持つ精神疾患は実に多彩でした。 ↓
- うつ病
- 統合失調症
- 認知症
- 性格障害
- パニック障害
- アルコール依存
- 発達障害 などなど
こうした疾患を持つ当事者に、薬物療法や精神療法(カウンセリング)を行い、ごくまれに、自殺の危険が迫っていたり強い興奮状態にあったりする場合には、入院を引き受ける側としても、これを依頼する側としても、入院治療を設定しました。
薬での治療(薬物療法)はとても大切です。うつ病でみられる抑うつ気分や意欲低下には抗うつ薬、統合失調症でみられる幻聴や妄想には抗精神病薬がそれぞれ比較的に有効で、こうした薬がもたらす恩恵、すなわち症状の改善によって、多くの当事者が救われています。
しかし、たとえば入院中に薬物療法が主な治療として行われ症状が改善し退院をしても、数年ののちに再び調子を悪くして入院をしてくる方がいたり、たとえ地域で生活をしていても病状が持続しており、どんなに薬を増やしても副作用ばかりが目立ってきてしまい、薬の良い効果があまりみられない方もいます。また、うつ気分や意欲低下、幻聴、妄想などが薬によって改善をしても、地域の中で孤立して社会との接点が無く過ごしている方もいます。
それにそもそも、薬が効きづらい病態(認知症、性格障害、発達障害など)もあります。
そして、どのようなケースであっても、家族の側の負担感や支援をする人たちが自覚する困難があります。
以下の写真は以前に私が担当をしたことのある、当時50歳代男性(診断は統合失調症)の一人暮らしのアパートの自室です。私が訪問をしたときにご本人の了解を得て私が撮影しました。
率直に言って、清潔感があまり無いので、いまお食事中の方はあとで閲覧いただければと思います。
彼はおそらくは病状のためにだいぶ昔に離婚をし、単身生活。
どんなに薬を増やしても、「外出をすると誰かに絶えず付け狙われる」(=妄想)からと外出をほとんどせず、「アパートの向こうの建物から私の様子を見張っている人がいる」(←やはり妄想)と言って、 昼間の訪問だったのにもかかわらずカーテンを閉め、電気をつけず、暗い部屋の中で彼はポツンとうなだれていました。
そして彼は、
「たまに別れた妻とのあいだの娘に会うのが楽しみ。親思いのとても良い子。本当はもっと会いたいし一緒に住めればどんなに嬉しいかと思うけど、自分の存在が結婚適齢期の娘の邪魔になるといけないから遠慮するしかない」と語りました。
こうした彼に私がするべきことは薬の調節だけで良いのか?
もちろん彼には病院のソーシャルワーカーや訪問看護のスタッフ、福祉事務所のワーカーが(残念ながら成果はなかなか見られませんでしたが)支援をしていました。
しかし、その時点での状況がこのような様子だったので、診察室で彼を待ち、薬の調節を8割がたの自分の仕事とすることに、私は違和感、不全感、そして幾ばくかの申し訳なさを覚えたのです。いや、これは他の多くの当事者に対しても自覚した認識でした。それに、こうした思いは私だけではなく、スタッフも持っていたかもしれません。
こうした治療と支援が行き届かないケースは統合失調症を持つ孤立した当事者だけに限りません。
うつ病のために仕事から離れている。
配偶者間の衝突でいずれか一方が疲弊している。
イジメによって学校に行けなくなった。
職場の対人関係や業務内容などによって具合いを悪くしている。
老いや記憶の問題によって、自分を見失っている。
「強い者の論理」から見れば、「たんに自分の心が弱いだけ・・・」と言われてしまうのかもしれません。
でも、こうした当事者が持つ実際の苦痛をどのように受け止め、軽減を図っていくか、
さらには、こうした当事者を見守り、ときには衝突をしている家族に、なにを提供できるのか・・・。
精神科医師としての自分のあり方を探索する日々が数年にわたり続きました。
こうした時期のあるとき、
一人の年長の外国人精神科医師との出会いが私に進むべき道を教えてくれたのです。この医師は精神疾患を持っている方々への治療や支援について、医学や福祉の原理原則をふまえながら、実に先駆的な活動をいくつかの国々で行っていました。
ニュージーランドのオークランド大学の故イアン・ファルーン(Ian Falloon)教授です。↓
イアンは英国で(薬物療法ではなく)精神科リハビリテーションと呼ばれる治療(生活技能を高める訓練など)の開発や、医療と福祉をどのように融合させ、しかもそれを当事者の住む地域の中にどのように提供をしていくかなどについて、 現代のエキスパート達、たとえば(いずれ機会があれば記事に取りあげますが)SSTの第一人者であるリーバーマン教授らと一緒に研究と実践を重ね、
そののちにイタリアに拠点を構え、かの国の医療と福祉のあり方に多大な貢献をしていました。彼を頼りに世界中の多くの専門家たちは彼を中心にネットワークを作り、それぞれの国や地域で当事者支援や研究に没頭していたのです。何年間か自分探しをしていた私もその末席を汚しながら、研鑽を積みました。
イタリアでは多くの当事者達は薬を服用し、自分が持つ疾患に注意を払いながらも、街に住み、仕事を持ち、恋をしています。
もちろん当事者の自分を信じる心の姿勢があればこその達成なのでしょうが、同時に多くの支援者が勉強をし、連携をし、哲学を持っていることも忘れてはなりません。
このような当事者の社会への参加の様子が事実をモチーフにして描かれている、「(邦題) 人生、ここにあり!」というイタリア映画があります。 DVDも発売されています。 ↓
当事者役の何人かの俳優さんたちは、当事者の実際の活動場面に同席を繰り返し行って、 演技を向上させたそうです。
地域で生活をすることの意味、周囲がそれを支えることの大切さ、そして、これに医療はていねいにフィットをするのか・・・。
私が今回のマガジンでお伝えしたいことのエッセンスが見事に描かれています。
いずれイアンの業績についても、述べたく思っています。
彼が死を迎える直前に私に送ってくれたe-mailにあった言葉「You are my best friend」、そして彼が眠りについた朝にその場を看取ったかの国の仲間が世界中に送信したメール「一つの希望が天に昇って行った」を今、思い起こしました。
もう15年以上前になりますが、互いに専門家として知り合い、彼の来日のたびにドライバー役を買って出て、移動の車の中だけは私は彼を独占して、(つたない英語ではありましたが)たくさんの質問をしました。
彼の答えの一つ一つは、2013年の今となっては当たり前なのかもしれませんが、まだまだ専門性が未熟であった私にとっては当事者を支えるための骨格になり、血になりました。
「世界中の精神科医は結局は案外とサボっているかもしれないよ・・・」
「病状だけ治せば良いと思っているのか? 残された課題には何を出来るんだい?」
「その人の家に行けば、すぐにわかるよ」
「その人のために何かをするのは当たり前で、医療や福祉の専門家として、社会全体に何を働きかけるか、それが大事」
「とにかくチームを作れ!」 etc.
今回のマガジン発行も、私なりの地域支援のひとつだとあらためて思います。
今後、医師の立場からみた治療や支援のあり方、社会の望ましい形などについて、私の経験や独自の価値観には拠らずに、世界中の確立された、もしくは先駆的な研究や実践を基にしながら記事にして、読者の皆さまにお伝えします。
<以下、次号「ウェブマガジン創刊のご挨拶・後編」に続きます>
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